白鬚神社 目安箱(掲示板) http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/ ja 2010-08-20T07:50+09:00 ●世襲制とカリスマ http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=75&mode2=0 下の書き込み〔74〕に続きます。 マックス・ウェーバーが、カリスマの本質を「原型」という形で提示しながら、かなり広い亜型的な現象にもこの概念を適用したために、広狭二様の用法を志向する研究者の対立が生じてきています。そこで原型と亜型との区別が明確になるようなM・スペンサーの見解が注目されます。 【A】“超自然的な”カリスマ (ウェーバーの原型的用法におけるカリスマ)    ?教祖や創始者の原型的な超自然的カリスマ    ?その人物の資質として直接与えられたものではなく、先行する存在の     カリスマ的な権威に全面的に依存し、従属する二次的な超自然的カリスマ。 【B】“世俗的”カリスマ (近代の政治的指導者のカリスマ) 世襲制の中に身を置く者にとりましては、(A)―?の分類が、やたらと気にかかるところではあります。 ここ最近でも、70年前のディズニーのアニメ映画『ファンタジア』をリメイクした、『魔法使いの弟子』という実写版映画が上映されているようです。 ※「カリスマ化過程」に対する見解 ・ウェーバーは、カリスマとは非日常的手段により獲得でき、「ある種の苦難や苦行によって惹き起こされる異常な状態が超人間的な(呪術的な)諸力を獲得するための通路」であるとも述べている。 ・川村邦光は、「公認された逸脱の儀式である通過儀礼が、カリスマ化過程と類似した過程を持つ」とする。 ・そういった見解に対し、アイゼンシュタットは、「通過儀礼においては、社会からの一時的分離、逸脱は制度上許可されているのに対し、カリスマ化過程の場合、社会からの逸脱、もしくは対立は、個人によってなされる。カリスマの担い手は、社会秩序と対立することにより逸脱の烙印を押される」としている。 道開き 2010-08-20T07:50+09:00 ●カリスマ論における「スティグマ」 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=74&mode2=0 “カリスマ”という概念を初めて提唱したのは、ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーです。 よくテレビを見ていると、若い人たちが、「あいつは、持っている」などと口にしているのを耳にしますが、おそらくは“カリスマ性”を持っているということを今風に語っているのでしょう。 しかし、“カリスマ性”というのは、「持っているか、持っていないか」、「0か100か」というものでもなく、おそらくは誰でもが、多少なりとも持ち合わせている資質のようにも考えられます。 “カリスマ”を論じる際には、「スティグマ」という概念も重要になります。 人が“カリスマ性”を発揮する前提には、〈社会から逸脱するといった側面〉が見られるというのです。 つまり、ドブに落ちたり、泥まみれになるような経験を踏まないことには、神さまから召命されたような、本当の意味での社会的大仕事は成し遂げられないということにもなるのでしょう。 ●●カリスマという概念の定義●● 「?カリスマ?とは、非日常的なものとみなされた(元来は、予言者にあっても、医術師にあっても、法の賢者にあっても、軍事英雄にあっても、呪術的条件に基づくものとみなされた)ある人物の資質をいう。 この資質の故に、彼は、超自然的、または超人間的、少なくとも特殊非日常的な、誰でもが持ちうるとは言えないような力や性質に恵まれていると評価され、あるいは神から遣わされたものとして、あるいは模範的として、またそれ故に〈指導者〉として評価されることになる。 当該の資質が、何らかの倫理的、美的、またはその他の観点からするとき、〈客観的に〉正しいと評価されるであろうかどうかは、いうまでもなく、この場合、概念にとっては、全くどうでもよいことである。その資質が、カリスマ的被支配者、すなわち〈帰依者〉によって事実上どのように評価されるか、ということだけが問題なのである。」 ●●「スティグマ」という概念●● 『社会学小辞典』によれば、対人的状況において、正常からは逸脱したとみなされ(望ましくない、汚らわしい等)、他人の蔑視と不信を買うような欠点、短所、ハンディキャップなどの属性。 ◆「自己スティグマ化」 「スティグマ」という概念が、カリスマに対峙するものとして提起されたが、“カリスマ化過程”においては「スティグマ」的側面も見られ、社会学者リップにより、以下のようなカリスマ論が提唱されました。 ・スティグマの担い手は、自己アイデンティティが不安定なものになり、否定的な価値、社会的評価を無効とし再規定しようとする。すなわち、スティグマの意味、内容を、象徴的操作により変える、すなわち、社会的に下された否定的価値を肯定的価値へと変容しようとする。このスティグマの対抗評価により、カリスマはスティグマを積極的に引き受け、それを自己の肯定的要素とする。 リップは、対抗評価によるスティグマの積極的受容を「自己スティグマ化」と呼んでいる。それは社会の吐き出す穢れを一身に背負うといってもよい。 「自己スティグマ化」により、スティグマとカリスマとは相互に交換可能なものになる。「自己スティグマ化=カリスマ化」は、帰依者集団の形成から、社会の構成員全体の動員に及ぶダイナミックなカリスマ運動を推進する。 ・カリスマ的人間は、従来の象徴的世界とは全く異なった、新しい救済財を与える者として登場するが故に、社会にとって大きな脅威となる。このような意味において、カリスマの担い手は、たとえ帰依者を獲得しても、やはり社会によっては逸脱者、狂人というレッテルや徴を付与される。 ◆官僚制的支配とカリスマ的支配 『支配の社会学』においてウェーバーは、遠い過去においては、ほとんどの支配関係が、伝統とカリスマとによって両分されていたとしている。しかし、歴史が進展するにつれて顕著となる官僚制的支配と、カリスマ的支配は正反対の面を持つ。経済的基盤からみると官僚制的支配は、恒常的な収入に依存しているが、カリスマとは、この世の中に生きているのではあるが、この世を糧として生きているのではない。 制度的な永続的組織の発展が進むにつれて後退してゆくということは、カリスマなるものの宿命である。よって、官僚制化が進んだ社会においては、カリスマとは、かってほど顕著に見られる現象ではないようにウェーバーは見なしている。 ◎参考 ―情報化社会における神々の再生― 『現代日本の新宗教』(創元社)  桃山学院大学 沼田健哉 著 道開き 2010-08-18T10:22+09:00 ●東照(徳川家康)公御遺訓 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=73&mode2=0 小学生の頃、母親が、日光へ団体旅行に行ってきたお土産にと、大きな灰皿を買ってきた。どういう訳か、その灰皿に書かれていた一文がやたら気に入り、何度となく読み返している内に頭の中に書き込まれたようにも思われます。その一文というのは以下のものです。 ●徳川家康公遺訓   人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し   急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし   心に望み起らば 困窮したる時を思いだすべし   堪忍(かんにん)は無事長久の基(もとい)  怒りは敵と思え   勝つことばかり知りて 負くることを知らざれば 害その身に至る   己を責めて 人を責むるな   及ばざるは 過ぎたるよりまされり 作者は不明とされているが、家康公がその晩年に、家臣に色々と苦労話をされたものが元になっているらしい。 徳川家康公は、幼少期を今川義元の人質として過ごした。成人してからは、気難しい織田信長と盟約を結び、当時最強とされた甲斐の武田軍と三方ヶ原で戦い、完膚無きまでに叩きのめされ、多くの家臣を失いました。あまりの恐怖から脱糞までして浜松城に逃げ帰ったとも伝えられており、その情けない姿と苦渋の表情を絵師に描かせ(通称「顰(しかみ)像」)、生涯を通して、自分に対する戒めとしたという逸話も残る。 自分なりに気に入っている言葉には、以下のようなものがあるのだが、それらのエッセンスがすべて凝縮されている一文のようにも思われます。 「継続は力なり」 「石の上にも三年」 「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」 「ピンチの中にチャンス有り。逆も真なりで、チャンスの中にピンチ有り」 「急がば回れ何事も」 「慌てる乞食はもらいが少ない」 「大器晩成」  「難しい問題を楽に解決しようとする時、人はノイローゼになる。  ・・焦りは禁物、自滅につながる。」 「温故知新」 「よく遊び よく学べ」 「バランスの取れている事こそが最善・最強なり」 「身の丈にあった生活をおくる」 「何事も“腹八分目”」  「桃栗三年 柿八年」 信長のような天才肌の人物でもなく、秀吉のように天性の明るいキャラクターを持ち合わせ、人心掌握術に長けていたわけでもなく、我々、凡人に極めて近いようにも思われるが、自らの失敗経験を力に変えてきた“スーパー苦労人”家康公の「遺訓」は、示唆に富んだ、非常に有益なものに思われます。 (場合によっては、陽明学者・大塩平八郎のような、「義を見てせざるは、勇無きなり」的な“超爆発力”も必要だとは思いますが・・・) とにかく、個々の日本人のマン・パワー(人間力)がどんどん弱まり、その結果として、日本の国力が弱体化し続けているように思われる昨今です。それは、戦後の家庭や学校教育が、こういった道徳、哲学を教えようとせず、いたずらに“偏差値主義”に走ったり、「夢を持つ」ことだとか、「輝きを持て」だとか、「個性的であれ」だとかいったような、“個人礼賛”的な綺麗事ばかりを奨励しすぎて来たことに起因するようにも思われます。 つまりは、古人の生々しい体験から生まれた「人生訓」のようなものだとか、「四字熟語」に代表されるような“故事成語”などの貴重な精神文化を、古めかしい時代遅れのものとして軽視しすぎてきたことによるものとも考えられるのです。 今の日本、“精神文化”(つまりは、日本国家の目に見えない部分)の衰退に起因する、国家そのものの没落が始まっている状態なのではないでしょうか。それにつけても、「ほんとうに大切なものは目に見えないんだよ」といった、童話『星の王子さま』の金言が心に染み入ります。 道開き 2010-05-24T18:01+09:00 ●修験カリスマの衰退と新宗教の勃興 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=72&mode2=0 日本古来の山岳信仰(神的原理)と外来宗教の仏教、特に密教(仏的原理)が結びついて発生したのが「修験道」という“習合宗教”だとされており、奈良時代における役行者(えんのぎょうじゃ)が「修験道」の始祖のようにも説かれています。 平安期には最澄や空海などによって、比叡山や高野山をはじめとして、数多くの山岳寺院が形成されました。江戸期には、一般庶民の間で、山岳登拝組織である“講(こう)”が組まれました。大きな講などでは、大先達(だいせんだつ)の元に数千人の信者が集まったとされています。 明治元年の「神仏分離令」、明治五年の「修験道廃止令」により、修験者は、神職になるか、僧侶になるか、還俗するかの選択を強いられ、多くの山岳寺院も、神社や仏教寺院となり、“講(こう)”からは、数多くの教団が生まれました。昭和20年の敗戦後には、更に拍車が掛かり、あまたの新々宗教と呼ばれる教団が生まれました。 つまり、新興宗教と一般的に言われるものは、信仰的ソフト面は、日本古来の“習合宗教”であり、組織形態は“講(こう)”組織であるという。 明治維新後、神社界は「官」としての立場を強いられ、敗戦後は、「民」的立場に戻されました。現在はさらに、「官から民へ」という社会状況の変化が強まっていることもあり、神社界も、各神社も、「官的な」NHK教育的発信のみならず、せめて、NHK総合的チャンネルを設定して、より一般人に解りやすくソフトを発信していかなければならない時代に入っているのではないかとも考えられるのです。 特に、個々の神職については、明治維新以前の“修験カリスマ”のような側面を所持していかなければならない時代に入っているようにも思われます。 ◎参考 ―情報化社会における神々の再生― 『現代日本の新宗教』(創元社)  桃山学院大学 沼田健哉 著 道開き 2010-04-09T13:47+09:00 ●神社信仰の「重層」構造 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=71&mode2=0 神社信仰の基底にあるのは、日本的“シャーマニズム”・“アニミズム”の原初形態です。『古事記』や『日本書紀』などの古典の中にも窺うことができます。 その上に、大陸伝来の「漢字」文化と共に伝わった外来の信仰(“道教”、“陰陽五行説”、“仏教”、“儒教”等)が、幾重にも積み重なり、混合しあって今日に至っています。 その概要については、当ウェブサイトのコンテンツ・メニュー[マンガ]を御参照ください。 「強いもの、賢いものが生き残っていくのではなく、変化することができたものが生き残っていく」という、ダーウィンの『進化論』的に捉えたならば、神道は常に外来の信仰と融合し、変化し続けて来たわけです。 “神仏習合”思想により、弘法大師・空海の真言密教と結びついた「両部(りょうぶ)神道」や、天台宗の開祖・伝教大師・最澄が比叡山にお祀りした日吉社を山王(さんのう)と仰ぎ、天台宗の護法神とした「山王一実(さんのういちじつ)神道」など。 さらには、“陰陽五行説”、“陰陽道”と習合した「土御門(つちみかど)神道」や、江戸期の儒学者たち(林羅山、徳川光圀、山鹿素行、貝原益軒、二宮尊徳、藤田東湖、山崎闇斎などに代表される)が唱えた“神儒一致論”にもとづく「儒家神道」があります。 百年ほど前のアメリカでは、学校で『進化論』を教えることが禁止されていたらしく、生徒に『進化論』を教えた高校教師が、教会側から裁判を起こされたといった有名な史実も残っているようです。 ダーウィンの『進化論』と言えば忘れてならないのは、「ダーウィンに消された男」として有名な、若き博物学者アルフレッド・ウォーレス博士の存在です。ダーウィンに先がけて『自然淘汰(とうた)説』をまとめあげたにもかかわらず、喜びの余り、安易にダーウィンに当てて書簡を送ってしまい、学界で先に発表されてしまったのでした。 その南洋諸島での研究生活中に、心霊現象に興味を覚え、帰国後に本格的研究に着手し、「自然淘汰説だけでは説明できずに残されている博物学上の現象がどこまで説明できるかを、論理的かつ科学的に押し進め」、その成果を学術誌に発表しました。そのことが、学者としての地位を損なう事にもなりましたが、「事実とは頑固なものである」との有名な言葉を残し、多くの論文を一冊の本にまとめあげました。それが『Miracles and Modernpiritualism(奇跡と近代スピリチュアリズム)』です。 つまり、何が言いたいのかというと、各時代の様々な思想によって神道が語られることは、歴史的に見ても、繰り返し行われてきたことであり、「理」に叶った、極めて健全なことなのだとも考えられるのです。 ◆『自然淘汰説』(参考) 生き物は、突然変異などで遺伝子が変化し、少し違う者が生まれる。 その中で、生き残れる者が生き残り、生き残れない者が消えていく。 遺伝子が変化することで、感じ方が違ってくる。 感じ方が違うことで、行動が違ってくる。 行動が違うことで、生き残る者と消えていく者に分かれる。 道開き 2010-02-26T11:15+09:00 ●「魔女」&「鬼」 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=70&mode2=0 ドイツのある地方で、冬を追いやり、春を呼び、幸運をもたらす存在とされているのは「魔女」です。フランスなどでも、「ご先祖」がそういった役割を果てしているとし、春祭りが行われてきた地方もあります。 これらは、キリスト教がヨーロッパに伝わる以前の、古い風習が残っている例です。キリスト教伝搬以降、「魔女」は邪悪な存在の代名詞のようにもされてしまいました。 日本の場合はどうかというと、「魔女」ではなく、「鬼」ということになるのでしょう。 中国で「死者の魂」を意味した漢字の「鬼」は、日本では、「オニ、モノ、カミ」と読まれました。 信仰形態などから、三タイプに分けられるようです。 ?災禍をもたらす邪神としての鬼、当時の王権に抵抗した人々の神。そして、怨みや妬みを持って祟りをなす死霊・生霊(女性の場合は般若〈はんにゃ〉)としての鬼です。 ?異国の民(夷狄)、非服従の民、漂泊の芸能者、呪力を持つ宗教者、盗賊、山の民・・・。 ?密教寺院などで正月に行われる修正会・修二会や、秋田のナマハゲなどの民間の正月行事のなかにみられる鬼。これらの儀式では、宇宙の邪悪なものを象徴させた「鬼」が、国家や村落、家々のケガレを一身に背負って退散してくれる役割を担っているために喜ばれます。 ★節分の豆まき 中国から伝わった、宮中における「追儺(ついな)の儀」(「おにやらい」ともいう)が元となります。祭文を奏して、鬼に扮した人を桃の弓や矢、棒などで追って、悪疫邪気を退けようとするもの。本来は大晦日に行われていました。 「豆まき」は、室町時代に始まったとされますが、現在でも使われている「鬼の面」は、仏教で説く獄卒の鬼や餓鬼の図象とともに、追儺の儀で、鬼を追う“方相氏(ほうそうし)”のつけた四つ目の方形の仮面が影響したとされています。 (映画『千と千尋の神隠し』で、湯宿に来訪する八百万神々のキャラクターの中の一つに、この“方相氏(ほうそうし)”の姿が見受けられました。) 道開き 2010-02-01T16:47+09:00 ●神社とは、或る種の“装置”みたいなもの http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=69&mode2=0 いよいよ年の瀬も押し迫り、残すところあとわずかばかりとなりました。新たなる年を迎えようとしています。 そもそも神社とは、神霊に心を合一させるための「魔法陣」のような構造になっているものなのです。 〈邪霊にコンタクトするための装置といえば、日本の「狐狗狸(こっくり)さん」の元にもなった、西洋の「ウィジャ盤」等です。〉 その起源は、縄文時代早期の ●「環状列石(ストーン・サークル)」・「列状配石」などの祭祀遺跡にあります。 ↓ それが、 ●「磐境(イワサカ)」 神霊を招くために、岩石などによって設けられた祭場。外界との境界となる石。 ●「磐座(イワクラ)」 神霊の依代(よりしろ)となる岩石。神さまが来臨する石。 へと変化します。    ↓ さらには、 ●「神籬(ヒモロキ)」 神霊の来臨を仰ぐため、樹木や枝によって作られた臨時施設。 ★★★家を新築する際に行われる「地鎮祭(じちんさい)」等は、上記の「祭祀要素が集約されたもの」です。    ↓ やがては、 ●「社(ヤシロ)」  「屋代(やしろ)」のことで、屋を建てるために設けられた区域、もしくは屋の代りになる物。つまり、常設の社殿の存在しない、祭場となる特定の聖域。    ↓ ●「宮(ミヤ)」 次第に、神霊の常在を願う気持ちが高まってくると、祭祀のたびに新設する簡単な建物ではなく、常設の社殿となる「ミヤ」がつくられるようになります。 「ミヤ」とは「御屋(みや)」のことで、単なる屋ではなく、”尊い建物”を意味します。 といった変遷を遂げました。 神棚、仏壇、お墓も同様で、或る種の“装置”みたいなものだとも言えます。 ◆縄文人の「神棚」 縄文時代の中期から後期にかけて、居住地の奥壁部には “石柱(立石)”や“石棒”が立てられていたり、“石壇” とよばれる床より高い位置に平石、敷石を配したものが ありします。その近くには炉がつくられ、土器や石皿 を置いて供献物を浄化して、“立石”に憑かるマナ(神霊)を まつる儀礼(祭祀)がおこなわれていました。 道開き 2009-12-24T10:38+09:00 ●司馬遼太郎の『坂の上の雲』 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=68&mode2=0 よくよく考えてみると、私、明日から三年間に亘ってNHKで放映されるドラマ『坂の上の雲』の作者・司馬遼太郎さんに、25年ほど以前にお目にかかったことがありました。その頃に奉職していた県内の某神社でのことです。何のお話をすることもなく、ただこちら側で見かけただけのこと。 当時の司馬遼太郎さんは、『街道をゆく』という紀行シリーズを執筆中だったようで、そのための現地視察にいらしていたそうです。 氏の作品『坂の上の雲』には、明治の人たちが、いかなる熱い思いを抱いて国づくりに取り組んだのかが描かれていますが、明日がその第一回目の放送だということです。現代の日本人が失ってしまったとされるものを、再確認してみたい思いでいっぱいでおりす。 以下は、だいぶ以前に、『坂の上の雲』について当サイトの掲示板に書き込んだものですが、再度掲載させていただくことと致します。 [319] 乞食(こじき)の“ズタ袋” 投稿者:道開き 投稿日:2005/11/03(Thu) 21:01   IT、ネットワ―ク、ハイブリッド、ナノテクノロジ―、ロボット・・・等のハイテクといったものに心踊らされ、ワクワクさせられます。地球環境、自然、伝統技術、匠(たくみ)の技・・・等といったものには教え諭され、ついつい謙虚にならされることが多いです。この対極に位置するかに思われるどちらの事象にも、同じく興味が尽きないでいられるということは、それほど自分のバランス感覚は悪くはないのかなと・・・・ というか、ハイテクというものは、ロ―テクの堅実なる積み重ねとか、細微にわたる自然観察から生み出されているようにも考えられますので、あえて分けて考える必要もないのでしょう。 以前、何かの本に書いてあったのですが、はたして司馬遼太郎の小説だったように記憶していますが・・・・・ 「知識というものは、乞食の背負っているズタ袋のようなものが良い。本当に必要なものだけが、中から何かまわず出てくる」と。 なるほどなと思わされる一節でした。 そういえば、歴史上、世界中を驚嘆させた日本海海戦における日本の大勝利が思い起こされます。当時、世界最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに撃破したのは、戦術上の非常識とみられた参謀・秋山真之の編出した“東郷タ―ン”でした。それは、瀬戸内の村上水軍の古戦術を参考に組み立てられたものだということです。 もし、秋山が、当時の先進諸国の海軍が使用していた戦術テキストの知識のみに頼ってしまうような、模範的優等生タイプの人物であったとしたのなら、今頃、日本、そして、アジア、アフリカはどうなっていただろうか。へたをすると未だに西洋の列強諸国の支配下にある可能性も否めません。 [320] 世界の常識は、日本の非常識??? 投稿者:道開き 投稿日:2005/11/08(Tue) 21:56   陰陽五行説は「バランス学」だとも言えます。“陰陽”のバランス、“五行”のバランスが取れていることこそが最良、最強となります。以下は歴史教育のバランスについて。 今年は日露戦争100周年の年に当たる年らしい。 明治期、世界史の奇跡とも言われる“明治維新”を成し遂げた日本はではあったが、まだまだ発展途上の弱小国で、西洋列強の一つ、北の大国・露西亜(ロシア)の脅威には常に怯え続けていました。そんな日本が大国ロシアを打ち負かしてしまったのです。よく相撲に例えられて、「平幕の力士が横綱を負かしたのと同様だ、いや、それ以上の大金星をあげたのだ」とも評されます。 ・・・・・・・・日露戦争までを“明治維新”とみる「史観」もあるようですが、その見方にはかなり納得がいきます。 今年のNHKの大河ドラマは、本当は、日露戦争100周年を記念して、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が当てられる構想だったそうな。ところが、余りのスケ−ルの大きさ故に中止になってしまったと聞いています。本当の話はいかがなものだったのか。 書き込み〔319〕に記した“東郷タ−ン”を考案し、世界最強のバルチック艦隊を殲滅した海軍で戦った弟の秋山真之と、やはり、馬に乗らせたら世界最強といわれたロシアのコサック兵(彼らは、生まれた後は、ほとんど馬上で育った兵士たちとまで言われていた)に対抗できる騎馬隊を組織する使命を受け、「奉天会戦」に勝利した、陸軍所属の兄の秋山好古(よしふる)が主人公となる作品でした。 日本の大勝利には、ロシアに虐げられてきた北欧・東欧諸国、トルコなどの中東諸国では、国を挙げて歓喜したそうです。さらに、世界中の有色人種たちも日本の勝利に大いに奮起したということです。 ニュ−ジ−ランドのマオリ族なども、日本の勝利に沸き立ったという内容のテレビ番組を見たことがあります。当時のニュ−ジ−ランド政府は反乱が起きることを危惧し、彼等を押さえにかかったのだそうだ。北欧では、東郷平八郎の名を付けた“東郷ビ−ル”という銘柄のビ−ルが今でもあるそうです。 世界では、歴史上の海の英雄は誰かということになると、決まって、トラファルガ―海戦でスペインの無敵艦隊を打ち破った英国のネルソン提督か東郷平八郎元帥の名が挙げられるのだそうです。それでもやはり、NO.1は誰かということになると、どうしても東郷平八郎ということになるのだそうです。 第二次大戦後の日本では、こういった戦争に関することは、総て軍国主義に繋がっていくものとされて、なかなか教えようとしない傾向にありました。日本史の教科書でさえも、東郷平八郎の名を載せていない歪んだ歴史教科書も多いということです。まさに自虐国家・日本と言われてしまう所以でもあります。 これでは、日本に誇りを持とうとする日本人が減っていくのは当然かとも思われます。(テレビで、他国の人たちが自国に誇りを持って、歌ったり踊ったりしながら、お国自慢をしているシーンなんか見ていると、つくづくいいもんだなぁ〜と思えます)  こういった国情を憂いた故三波春夫さん(日本の国民的歌手、シベリア抑留などの戦争体験を持つ)などは、自分で歴史の研究をし、本も出版していました。 人が一生懸命したことに順位をつけるのは良くないこと、人は皆平等なのだとして、運動会の徒競走に順位をつけなかったりする学校もあるそうです。 かといって、そういった「悪しき平等」とも呼べる教育環境で育った子供たちも、一端、実社会にでてしまうと、生き馬の目を抜くような国際競争にさらされるのです。それを思うと、余りにも教育界と実社会とのギャップがありすぎると、しわ寄せが総て子供達にゆくことになります。 教育には、頭の中だけでこしらえた理想よりも、できるだけ現実に即した理想を掲げていってもらいたいものです。もう少し、現実とのバランスを考えてもらいたいです。 道開き 2009-11-28T20:01+09:00 映画『劔岳 点の記』&『八甲田山 死の彷徨』 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=67&mode2=0 共に、新田次郎原作の作品です。『劔岳(つるぎだけ)』では、『八甲田山』で撮影監督を務めた木村大作さんが、初監督をなさったようです。 映画『劔岳 点の記』の主人公となる、明治の測量官・柴崎芳太郎と山案内人・宇治長治郎(日本版デルス・ウザーラのような人物)たちの辿った足跡を、“現代の”測量士と山岳ガイドたちで実際に探し当ててみようといった試みを取り扱った、HV特集『日本の名峰 劔岳測量物語 明治40年点の記』という番組を見る機会を得ました。 番組中、幾度と無く、天空に高くそびえ立つ劔岳の姿が映し出されるのですが、その度に、感動で涙が溢れ出そうになってしまいます。自分でも意味が分かりません。 おそらくは、私の守護霊さんか、私自身の前世の魂の記憶が感動していたのでしょう。以前、江原さんから、私の守護霊であるという山岳修行の行者さんからのメッセージを伝えていただいたことがありました。13年も前のことです。 その前人未踏の山だとされてきた劔岳の山頂に、柴崎たち測量団一行が、命懸けの試行錯誤を繰り返し、やっとの思いで辿り着いた際に、或る不思議な物を発見します。錆びた鉄製の「剣」と銅製の「錫杖(しゃくじょう)頭」でした。 奈良時代後期から平安前期頃に作られた物らしく、何と、既に1,200年前には、山伏たちが劔岳の山頂に登頂しており、山の神さまに対してお供え物を捧げていたというのです。 映画も見てみたいと思い、早速、DVDレンタル店に足を運んでみましたところ、12月11日がこの作品のレンタル開始日だと聞かされ、落胆して帰ってきました。まだ一月半もあります。 さて、話は、映画『八甲田山 死の彷徨(ほうこう)』に変わります。この作品は、学生の頃に映画館で見ました。当時、学部は違っていましたが、青森出身の女子学生を「八甲田山」とニックネームを付けて呼んでいた友人の一団がおりました。ここでは、その事の善し悪しは論じませんが、それ程までに強烈なインパクトを世に与えていた映画だったように記憶します。 私も、この作品から、人生における様々な教訓を与えてもらったような感じもしています。 一つは、物事に取り組む際には、周到な準備を重ね、幾度と無くシュミレーションを繰り返し、用心深く行っていかなければならないということ。 そして、どんなに用意周到で緻密な計画を机上で立ててみても、現場を知った者、経験を積み重ねてきた者の存在を抜きにしては、成功が叶わないということ。 映画の中に出てくる、案内役を務めた秋吉久美子さん演じる土地の娘っこの“土地勘”には、長期に渡って訓練を積み重ねてきた屈強な軍人たちも叶わないのでした。 更には、そういったものを全部揃えて事に当たったとしても、現実を無視した上層部の誤った命令一つで、大惨事を招いてしまうということ。第二次世界大戦中の「インパール作戦」なんかはまさにそれです。 これらのことは、軍事のみに限った事ではなく、世の中のあらゆる人の営み万事に、そのまま当てはまる教訓のようにも思えます。 道開き 2009-10-22T13:10+09:00 ●『ゾマホンのほん』 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=66&mode2=0 下の書き込み[65]に続きます。 テレビ番組『そこが変だよ、日本人』と云えば、どうしても思い起こされるが、あの早口でしゃべりまくる、愛すべきベナン人のゾマホン・ルフィンさんです。 そのゾマホンが本を出したということで、すぐに本屋へと足を運び、買って読んでみました。その本の題名はというと、そのものズバリ、『ゾマホンのほん』でした。 当時のゾマホンさんは、アフリカの小国・ベナンの未来を背負って、日本にやって来ていた留学生でした。過去の日本に当てはめたなら、おそらくは、明治期の夏目漱石、森鴎外、新渡戸稲造、野口英世のようにも成り得る存在です。 本の内容はというと、私が学生の頃から心配し続けてきた事と全く同じ内容の事柄が、そのまま書かれていました。 つまり、アフリカ大陸に入ってきた西洋文明が、アフリカの精神文化、経済等の社会の仕組みの総てを根こそぎ破壊してしまったこと。それは日本でも、スピードの違いこそ有れ、同じような動きが確実に進行しているということ。しかし、どうにか踏みとどまっている日本には、何とかして頑張り続けてもらいたいこと。・・・・ 我々のような日本文化の担い手としましては、古代の地中海で起こり、全ヨーロッパ、そして、アメリカ大陸、アフリカ大陸へと広がった大波に飲み込まれないよう、よほど気を引き締めていかなければならないのでしょう。 とにかく、今日のように、メディアが発達を遂げ、IT革命が起きてしまった社会といったものは、もはや、情報や思想、価値観が強大な組織によって一元的に発信される時代ではなく、多元的に、幾重にもシンクロされたものとなっているようです。つまり、多神教的、アジア的なものにとっては非常に有利な社会になっているとも言えます。 問題となるのは、そういった事実をしっかりと把握できているのかどうかにあるのだとも考えられます。 道開き 2009-09-29T13:47+09:00 ●布留部神業(ふるべのかんわざ) http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=65&mode2=0 下の書き込み[64]に続きます。 「布留(フル)のヤシロ」と呼ばれて来た奈良県の石上(いそのかみ)神宮こそが、物部(もののべ)氏の氏神社です。古くより伝わる「鎮魂法」は布留部神業(ふるべのかんわざ)として今日でも伝わっております。神社本庁でも、神職が修養すべき行法として認可しています。その中の、 「ふるへ ゆらゆらと ふるへ」 という唱え言葉は「布留(フル)の言(こと)」といって、「十種の神寶(とくさのかんだから)」の御名とともに唱えられます。 10年ほど以前になりますが、当時、“現代の陰陽師”こと和田さんという方が、スタジオの50〜100人の外国人に白い紙のようなものを渡し、掌に挟ませた状態で手を組ませ、この「布留(フル)の言(こと)」を唱えたところ、半数近くの人が神憑り状態になってしまったところを、あるテレビ番組(おそらくは、北野タケシさんの『そこが変だよ、日本人』だったと記憶する)で見たことがあります。 あの批判精神旺盛な外国人たちが、集団でのヤラセに応じるはずもなく、やはり、その際には「鎮魂」が「帰神」にまで至ってしまったが所以の出来事だったのだと理解しています。 この話は以前にも取り上げたことがあるのですが、当時、あの外国人たちの掌に挟まれた白い紙というのは、「剣先符(けんさきふ)」なのかとも考えていましたが、最近になって考えられるのは、おそらくは「十種の神寶(とくさのかんだから)」が記された紙だったのではなかろうかということです。 私的経験から言うと、「十種の神寶(とくさのかんだから)」の御名を唱える方が、憑いているモノの霊的活動は活発になります。 と云うか、自分の霊魂も他者の霊魂も旺盛に活動し始めるのです。 江戸期の著名な儒学者で、「垂加(すいか)神道」を創唱した山崎闇斎なども、両掌に「十種の神寶」を記した符を蔵して鎮魂の業を行っていたことが伝えられています。 余談になりますが、当地野蒜は、平成15年の市町村合併以前までは、桃生郡鳴瀬町の一部でした。桃生郡の「桃生(ものう)」は「もののふ」からきている名称であるとされています。 当社の前を流れる鳴瀬川の対岸には石上(いしがみ)神社という神社があり、当社でもお祀りしている沖の明神岩を御祭神として拝しています。 私、20代の頃には県内の某神社に、現在の石上神宮の森宮司さんと5年ほど一緒に奉職していました。訳あって家まで来ていただいて、祖母に輸血までしてもらったこともあります。その数年後には、石上神宮の社務所に泊めていただいて、ご夫妻に案内していただき、奈良の“超田舎チック”な夜を堪能させていただきました。 何か、やたらと「もののべ」との関係が深いような気がしてならないのです。 道開き 2009-09-26T20:57+09:00 ●古代祭祀 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=64&mode2=0 下の書き込み[63]に続きます。 相変わらず、古代におこなわれていた祭祀に対し、特に、物部(もののべ)氏、忌部(いんべ)氏などの古代氏族に伝わっていた神道祭祀について、非常に興味を感じています。 これは私的経験による見解なのですが、“モノノケ”的なもの、“魑魅魍魎(ちみもうりょう)”的なものに対しては、これら古代氏族の祭祀が非常に有効で、かなりの威力を発揮してくれます。 6世紀、仏教の受け入れに際し、親仏派だった蘇我(そが)氏と激しく対立したのは物部氏でしたが、政争に敗れてからは中央政治の舞台から姿を消すことになりました。 「武士」を意味する古語「もののふ」の語源は「物部(もののべ)」からきていると言われているように、古代の軍事を掌握していた氏族であったとされていますが、古語の「カミ」と「モノ」はほとんど同義と解されているように、中臣(なかとみ)氏、忌部(いんべ)氏、卜部(うらべ)氏、猿女(さるめ)氏同様、古代の朝廷祭祀に奉仕した神祇(じんぎ)氏族としての一面も持っていたようです。よって、独自の神道祭祀を伝え残しています。 「大化改新」が始まり、中臣(藤原)鎌足らによって蘇我氏が滅ぼされ、藤原氏が旺盛を極める時代となり、祭祀面では中臣氏(=藤原氏)が力を強めることになります。 国家の正史とされる『古事記』、『日本書紀』が編纂された当時は藤原氏が力を持っていたので、中臣氏こそが祭祀を司っていた氏族の中心であったかのように書かれています。 その事に対して反感を抱いていた古代祭祀氏族たちは、後に正史から漏れた古伝承や祭祀についての書を著します。忌部氏からは『古語拾遺(しゅうい)』が、物部氏からは『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ・略して「旧事紀(くじき)」とも言う)』が編纂されました。 これら氏族の埋没しそうになっていた古代祭祀は、幸運にも、後の1,025年に、宮中の祭祀を司り、天皇家の霊性を守ることを第一の目的として創設された白川神祇伯王家(しらかわじんぎはくおうけ)の“伯家(はっけ)神道”の中に流れ込むことになります。明治2年までの、823年間に渡り継承されました。 江戸時代の文献を見ると、これらの宮中で行われていた古代祭祀の一部が全国の多くの社家にも伝わっていたり、民間にも広まっていたりで、結構盛んに「古代祭祀の業(わざ)」が行われていたようです。さらに江戸期には、「国学」が興り、“儒家神道”や、“復古神道”も隆盛を極め、伊勢参宮も盛んになったり、黒住、天理、金光などの神憑りの教祖たちによって創唱された民衆宗教も盛んとなりました。 その後、「明治維新」となり、“王政復古”の大号令の元、“祭政一致”の原則が宣言され、神祇官が再興されたりと、明治政府による表向きのイデオロギー政策だけは立派???でしたが、吉田家・白川家の神職支配を廃止したり、神仏判然令が出されたり、神社の世襲廃止令が出されたりと、「“不信心な”猫の目行政」により、神社界は、信仰的には大打撃を受けることになりました。 明治17年には、創設されたばかりの教導職制度も全廃され、「神社は宗教にあらず」という行政的解釈により、“政府の対神社政策の基調”が定まったようです。 (この辺の経緯については、神社新報社が出している神社本庁研修所編『わかりやすい神道の歴史』に詳しく書かれていますので参考になります。) 明治期、吉田家・白川家の神職支配の廃絶以降も、全国の多くの神職の間には、江戸期までに伝わっていた古代祭祀の多くが残っていたようです。しかし、時代を経るに従い、少しずつ埋没し、形骸化が進んだようで、その多くは神道系の新宗教へと流れ込みます。 ★結局のところ、私としましては、明治政府の神道政策によって散り散りにされてしまった古代祭祀の再評価、つまりは、「神道版ルネサンス(古代復興)」のような動きが強まっていくことを期待して止まないのです。今後の神社界はいつまでも、明治期に創られた官制の強い、非宗教的な神道を引きずる必要はないと考えるのです。 道開き 2009-08-26T14:16+09:00 ●神は人からの祭祀を受けて“威”を増す http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=63&mode2=0 思わず畏敬の念をいだかされるような、全く手つかずの大自然の近寄りがたさといったものがあります。それでも、人に対しては、水資源などのさまざまな恩恵をもたらしてくれています。 それに対して、幾分かでも人からの関与を受けた自然、つまり、里山だとか、田園風景だとかいった、人と折り合いよく馴染んでいるような状態の自然も、また違った形で、人に対して様々な恩恵を与えてくれます。 “神観念”についても同じようなことが言えます。 神々は、人からの働きかけの有る無しに関わらず、常時、人に対して恩恵を与え続けてくれている存在ですが、人からの祭祀を受け、感謝の念が捧げられると、様々な形で手を差し伸べてくれるようになります。 それは、ダイヤモンドの原石が、人の手が加わることによって光り輝き出すようなものとも言えそうです。 道開き 2009-08-25T17:35+09:00 ●「人は放っておくと鬼畜(モンスター)のようになる」 http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=62&mode2=0 下記[61]の「二宮尊徳の教え」に続きます。 「人は放っておくと鬼畜のようになる」という尊徳の言葉の、「鬼畜」を「モンスター」に置き換えてみると、現在の日本社会の実情を現しているかのようでもあります。 「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」の喩えのように、戦前の軍部の大暴走に懲りて、戦前のもの一切を否定してしまい、その替わりに、戦後の教育界の大暴走を招いてしまったようにも思えます。その結果として、「モンスター・ピアレンツ」「となりのクレーマー」の大増殖、そして、「イジメ社会」の実現につながったとも考えられるのです。 日教組などは、現在でも「正直、親切、勤勉、チャレンジ精神、親孝行」といった人としての美徳を教えることを価値観の押し付けであるとし、“道徳教育反対”、“全国学力調査反対”、“教育基本法改正反対”を掲げているとのこと。 いい加減にして欲しいと考えているのは私だけではないです。とにかく、飲み会でも、集会でも、人が集まるとこの類の話になります。 道開き 2009-07-03T20:13+09:00 ●二宮尊徳の教え http://michi-bbs2.webdeki-bbs.com/?pid=michi-bbs2&mode=pr&parent_id=61&mode2=0 下の書き込み[60]“二宮金次郎、アゲイン!”Part2 の続編です。 経済のバブルが膨らみ、崩壊してしまう以前の日本経済は、諸外国からは、「自由主義経済圏に在りながら、最も社会主義経済が成功した例が日本である」と評されていたようです。どうして、本家のソ連や東ヨーロッパ、中国ではなく日本だったのか。 戦後、日本経済の舵取りをした政財界人たちの多くは戦前の教育を受けた方たちで、何となく、「皆が、二宮尊徳の“報徳思想”をごくごく自然な形で身につけて育った方たちだったから」ではなかろうかとも考えられます。 現在、官僚や政治家のみならず、宗教者も警察も、教師も一般の父兄たちも、日本人の皆がおかしくなっているのは、戦前のように、二宮尊徳の「報徳思想」を学ぶことができなくなった事によるものではなかろうかとも思われるのです。 近々、総選挙がおこなわれるようです。多くの国民は「自民党には不満で、民主党には不安」を持っていると言われています。確かに、自民党で「行革」に命を懸けているように見えたのは渡辺喜美大臣くらいだったような気もしますし、小泉構造改革のような理念なき改革も空恐ろしいものがありました。民主党の場合は、「行革」に対しては非常に期待するところがあるのですが、せっかくの教育基本法の改正等の「教育改革」を反古にしてしまいそうな日教組を代表する議員の姿も見られるし、馬鹿の一つ覚えのように、“ジェンダー・フリー”や“夫婦別姓”ばかりを声高に騒いでいる「フェミニスト」議員の姿も見受けられます。こういった連中の行動には、本当に不安を感じます。 以下は『『世界に誇る日本の道徳力 ー心に響く二宮尊徳90の名言ー』からの一部抜粋になります。 ●古語に「三年の蓄えなければ国にあらず」といっている。国ばかりでなく、家でも同じ事で、万事ゆとりがなければ必ずさしつかえができて立ちゆかなくなる。 ―富へのチャンスは風のようにやって来ます。そのチャンスを生かすには資金にゆとりが必要だというのです。― ●学問を活用することを知らない学者は世の中の役に立たない。ただの本読みで、こじき坊主が経を読むのと同じだ。 ―尊徳は、あくまでも“実践”を尊びました。教師が聖職でなくなり、労働者になった戦後の学校教育では子ども達の学力は著しく低下し、自然の成り行きとして学習塾がはやり、父母の負担は重くなりました。― ●およそ世の中は、「知恵」があっても「学」があっても、“至誠”と“実行”がなければ、事は成らぬものと知るべきだ。 ●ひとまず放免(ほうめん)無頼(ぶらい)の貧民をさし置いて、離散滅亡(りさんめつぼう)するにまかせるのが、わが法の秘訣なり。 ―怠惰な貧民は改心するまで放っておいて、心が改まったら支援を惜しまない。― ●およそ人と生まれ出た以上は、死ぬのは必定だ。長生きといっても取るに足らぬほどの相違で、たとえばローソクに大中小とあるようなものだ。 人と生まれ出た以上は必ず死ぬものと覚悟してしまえば、一日生きれば一日のもうけ、一年生きれば一年の得だ。 ●天が生命の根元の徳をくだせば、地はこれを受けて万物を発生させる。親は子を育てるのに損得を忘れて、ひたすらその成長を楽しむし、子は育てられて父母を慕う。 夫婦の間でもお互いに楽しみ合って子孫が相続する。農夫は勤労して植物の繁栄を楽しみ、草木はまた喜んで繁茂する。「みんな、ともども苦情がなくて、喜びばかりだ。」 この道に則(のっと)るならば、商売のしかたは売って喜び、買って喜ぶようにするべきだ。貸借もそうで、借りて喜び、貸して喜ぶようにするべきだ。 ●「身分の高い者、富んだ者が人を救うことを好まなければ、身分の低い者、貧しい者はどうして人を救う気持ちになれようか。」 万物は地に生じ、財貨は貧者の力で生ずる。けれども、地は天の恵みを受けなければ一物をも生ずることはできず、貧者は富者の力を借りなければ財貨を生ずることはできない。 「天地相和して万物が育つように、貴賤貧富が相和して財貨が生じる。」 ―富める者が社会に尽くし、貧者を救うのは人間の義務である。財貨を得た者が貧困者を救う行動を起こさなければ、経済は動かず貧富和合は難しい。持てる者が多く譲ってこそ、人の道にかなうのです。社会福祉の向上とは、一人ひとりのまじめな勤労が余財を生み、弱い者、貧しい者に譲り助ける精神から出るもので、社会、国家が豊かに幸福になるための基本。― ●仁というのは人道の極地であるが、この湯ぶねの湯のようなものだ。これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向こうの方へ流れ帰ってしまう。これを向こうの方へ押してみれば、湯は向こうへ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。 少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。仁といったり義といったりするのは、向こうへ押すときの名前で、手前にかき寄せれば不仁となり不義となるのだから、気をつけなければならない。 「譲って損はなく 奪って得はない」 ●決して疑ってはならない。信ずべきものは「積善の家に余慶あり」の金言だ。けれども、この余慶も余殃(よおう)も必ずしも、すぐに回ってくるものではない。「桃栗三年、柿八年というように、因果にも応報にも遅速があることを忘れてはならない。」 ●「天理」と「人道」の区別を、よく理解できる人は少ない。およそ人身であれば欲があるのは自然であって、田畑に草が生ずるのと同じことだ。堤は崩れ、堀は埋まり、橋は朽ちる。これがすなわち「天理」なのだ。そこで「人道」は私欲を制するのを道とし、堤を築き、堀はさらえ、橋は掛け替えるのを道とする。 このように、「天理」と「人道」とは別々のものだから、「天理」は万古変わらないが、「人道」は一日怠ればたちまちすたれる。だから「人道」はつとめることを尊び、自然にまかせるのを尊ばない。 「人道」でつとめるべきことは「己に克つ」という教えだ。「己に克つ」というのは、わが心の田畑に生ずる草をけずり捨て取り捨てて、わが心の米麦を繁茂させるつとめのことだ。 ●「人道」は“中庸”を尊ぶ。水車の中庸は、ほどよく水中に入って、半分は水に従い、半分は逆に回って、運転滞らないところにある。 人の道もそのように、自然に従って種を蒔き、自然に逆らって草を取り、欲に従って家業に励み、欲を制して義務を思うべきだ。 ●「人は放っておくと鬼畜のようになる。」 教えを立てたり、刑罰法制を定めたり、礼法を設けたり、やかましくうるさく世話をやいて、ようやく「人道」は立つのだ。 ―“躾(しつけ)”と“教育”でようやく「人道」は立つ。― ●太平が久しく続けば、奢侈遊惰(しゃしゆうだ)に流れて国家が衰廃を免れないのは自然の成行きである。 ●「我というその大元を尋ぬれば、食うと着るとの二つなりけり」 ●もっとも重んずべきものは住民の米びつである。 ●「やりすぎては嫌われる。」 およそものごとには度合ということがある。飯をたくにも、料理をするにも、「みんなほど良い加減が肝要」なのだ。 ●人にも甘い性の者があり、辛い性の者がある。これもまた偏りである。だから、でしゃばる者は控えめにさせ、引っ込み思案の者は引き立ててやり、甘い辛いを調和して、始めて世の中に容れられ、人に用いられるようになる。 ―人の特性をどう活かすかはリーダーの器しだいだということです。― ★★★宇宙自然を見るとき、表裏、陰陽、プラスとマイナス、男女など、対になる反対の事象があります。それらを統合してみる「一円観(いちえんかん)」が報徳思想の基本となります。いくつかの言葉を以下に取り上げてみます。★★★ ●運も不運も“循環”している。 ●香(におい)あるものはその香をしらない。白きものは白きを知らず、黒きものは黒をしらず、・・・・水中のものは水を知らず、火中のものは火を知らない。 本来ことごとく外(ほか)の色あいから自分の色が知れるのである。「一切万々、自分の善し悪しは人が見ているもので、自分は案外、知らないものである。」 ●「心眼で見れば見えないところはない。心耳で聞けば聞こえないものはない。」 ●「犬の立場も考えよ」 ―ある農家が麦を干しておいたら、犬が来てそれを食べたので百姓が怒って犬を殺そうとした。これをさとした言葉。―   「ちうちうと嘆き苦しむ声をきけば ねずみの地獄 ねこの極楽」 ●世人は蓮(はす)の花を愛して泥をいやがり、大根を好んで下肥(しもごえ)をいやがる。私はこういう人を半人前という。 蓮の花を養うものは泥である。大根を養うものは下肥である。蓮の花や大根は、泥や下肥を好むこと、この上なしではないか。 「世人の好き嫌いは、半面を知って全面を知らない。」これまさに、半人前の見識ではないか。どうして一人前ということができよう。 道開き 2009-06-28T18:06+09:00